Netflixで話題となっている『極悪女王』。
ダンプ松本さんなど有名な女子プロレスラーの生き様を描いている作品となっています。
そして女子プロレスラーといえば北斗晶さんも有名ですが「極悪女王」ではなぜいないのでしょうか。
理由としてはダンプ松本さんなど「極悪女王」に出ている女子プロレスラーたちと活躍時期が違うことが判明しました。
そこで今回は『極悪女王』に北斗晶さんがいない理由についてまとめていきます!
【極悪女王】北斗晶はなぜいない?
『極悪女王』について調べたところ、北斗晶さんがなぜいないのか気になる人が多いようでした。
北斗晶さんも、かつては有名な女子プロレスラーだった印象が強いですよね。
実はその理由は、北斗晶さんの活躍時期が大きく影響していたことが判明しました。
北斗晶の活躍時期の影響だった!
北斗晶さんが『極悪女王』に出演していない大きな理由は、
ということが判明しました。
のちほど詳しくご紹介しますが、『極悪女王』の舞台は1980年前後のこととなっています。
そして北斗晶さんが女子プロレスラーとして活躍していたのは1985年のことでした。
つまり活躍していた時期が違うため、北斗晶さんが出演していないと考えられます。
同じ女子プロレスラーでも時代が大きく影響しているんだね!
【極悪女王】北斗晶はダンプ松本との活躍時期が違う!
北斗晶さんが女子プロレスラーとして活躍を始めたのは1985年のことでした。
『極悪女王』に出演している主な女子プロレスラーの活躍時期がこちらです。
- ジャガー横田:1977年デビュー
- 長与千種:1980年デビュー
- 大森ゆかり:1980年デビュー
- ダンプ松本:1980年デビュー
- ライオネス飛鳥:1980年デビュー
- クレーン・ユウ:1980年デビュー
- ブル中野:1983年デビュー(1980年オーディションに合格)
デビューしたのは、主に1980年が多いことがわかりますね。
こうしてみると5年の影響は大きいのかも・・?
極悪女王の時代はいつ?
『極悪女王』の時代は主に1980年を中心に描かれています。
ダンプ松本さんは先程ご紹介した、
- 長与千種
- ライオネス飛鳥
こちらの2人と同じく1980年となっていました。
下積み時代や、プロレスブームを巻き起こした時代が描かれています。
『極悪女王』ではダンプ松本さんのでは北斗晶さんはいったいどんな経歴を持っているのでしょうか。
女子プロレスラーだったのは知っている人も多いよね!
【極悪女王】北斗晶の経歴
1985年にプロレスデビュー
北斗晶さんは1985年6月12日にプロレスデビューをしています。
当時は本名の「宇野 久子(うの ひさこ)」名義で活躍していました。
そして北斗晶さんは1988年に「北斗晶」名義に変更し、そのまま活躍を続けるようになります。
結婚し2002年に引退
その後、夫である佐々木健介さんと知り合い婚約した北斗晶さん。
1998年には長男を出産し、一時はリングから離れたものの1年後に復活しています。
日本で初めてママレスラーとなった北斗晶さんですが、2002年に現役引退を発表しました。
女子プロレスラーを引退したあとは、主にバラエティ番組で活躍するようになりました。
子供を出産してもまたレスラーに戻るのもすごい!
北斗晶の人気がすごかった!
北斗晶さんは、当時悪役と呼ばれる「ヒール」という立ち位置で活躍していました。
見た目やキャラクターが悪役なことはもちろん、
パフォーマンスがかなり過激なときもあった
ということが判明しました。
リングではかなり過激なパフォーマンスだったものの、リングを降りるととても優しい性格だったそうです。
ダンプ松本さんも実際の性格はとても優しいことで有名なので、ヒール役のレスラーは実はみんな優しいかたというのが多いようですね!
ダンプ松本とも仲良し!
ちなみにご紹介したようにダンプ松本さんと北斗晶さんは、
女子プロレスラーとしての活躍時代に少し差がある
ということがわかっていますが、実は2人はとても仲が良いことも判明しました。
北斗晶さんはダンプ松本さんを「アウさん」と呼んで慕っているようですね。
時々ロケを一緒にされるということなので、プロレス時代も引退後も仲が良いというのはとても良い関係ですよね!
まとめ
『極悪女王』に北斗晶さんがいない理由について、ご紹介しました。
北斗晶さんが出演していない大きな理由は、活動時期の影響であることが判明しています。
活動時期が違うものの、ダンプ松本さんは北斗晶さんと接点があること。
そしてヒール役についても北斗晶さんの影響を受けていたことがわかりました。
今後の活躍にも注目したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。